この地は、江戸時代の文政年間の頃より現在まで中山恒三郎家の邸宅であり、往時は家業の「中山恒三郎商店」として酒類卸売業・醤油醸造業・生糸業を生業とした横浜北部の大豪商であった。
庭・築山は幕臣より貴重な菊苗二十余種を譲り受け、私財を投じて、菊園「松林甫(圃)」を創成し、皇室の象徴である国花の菊花の栽培と普及に多大な功績を残した。この菊花栽培法が認められ東京府立園芸学校教授を委嘱せられる。
明治25年には有栖川宮熾仁親王の台臨を仰ぎ、閑院宮、北白川宮、竹田宮、久邇宮各殿下の台覧を賜り、各宮家より御紋章銀盃等の御下賜品を賜る。
更に、写真集「菊の香」を編集し、明治天皇に天覧賜る栄誉に浴し、畏くも御無沙汰書を御下賜された。
宮内大臣を務めた伯爵土方久元翁等や国学の大家徳富蘇峰翁等をはじめ、多くの高名な文人墨客の方々が訪れ、観菊を楽しんだ由緒深い庭園である。
加えて、多くの皇族方や高名な政治家の大隈重信公・松方正義公等との親交も深かったものと考えられる。
又、明治維新後、暫くの間は戸長役場の所在地であった。
然し、代々の永きに亘り住み慣れしも、大きな時代の流れから将来を見据え、中山家第六代当主中山健氏が、神々への崇敬の念とご先祖の意志を継承する志を立て、歴史的にも由緒ある庭園を守る上から、平成二十八年二月よりこの土地一帯の総合的な整備計画を実施する。
更に、中山恒三郎邸の象徴的な建造物の書院を移築し、「松林庵」と名付け、この地の庭木を用いて趣のある日本庭園を造るものである。
併せて、敬神の念篤く、本宅の屋敷内と母屋・書院・店蔵などの各所に祀られていた大神様を、一つの所にまとめて祭祀することとする。
広大な屋敷の中でも緑深く、四季の彩りも清々しく、小高く眺めも美しい、薬師如来のご鎮座の所を浄き良き所と選び定めて「松林社」を創建する。
中山家六代目当主中山健氏は、四季折々の風情美しい、この「松林甫」の地が、後世に亘り多くの人々に、広く親しまれ愛されることを切に願うものである。
尚、これを機に、「川和保育園」もこの地に移転新築するものである。
平成二十九年酉年五月吉日
元 東照宮権宮司 鈴木隆俊
※記念誌「松林甫」(平成三十年発行)の序文を転載
平成30年、書院と店蔵は横浜市認定歴史的建造物としての認定を受けました。
また、諸味蔵・煉瓦倉・八号蔵も歴史的建造物の外構部分としての認定を受けています。
<歴史的建造物および資料の公開>
年に一回程、公開日を設けておりますが、現在は非公開とさせていただいております。
次回公開日が決まりましたら、こちらのサイトにてご案内いたします。
松林甫の敷地は広く、平成の後半には草木の手入れも追いつかない状態で、「よりよい管理方法はないか」と検討すると、「緑を無くして造成する」案ばかり。「敷地の緑と地型をそのままに活用したい」、という人がどこかにいないかな?と思案しておりました。そうこうしているうち、川和保育園様との話が進んでゆき、平成30年春に川和保育園様が松林甫の敷地の中へ移転されました。現在敷地内の「書院(松林庵)」では隣の園庭より日々園児たちの快活な声が聞こえ、時々当家に訪れるお客様はそれを聞き「子どもたちの声は良いものですね」と言われます。将来を担う子どもたちの成長の糧として松林甫の土地と緑が活用されますことは、私共にとって大変うれしく、また深く感謝する次第です。
一方で、松林甫の敷地は、現在約半分が川和保育園様、残り半分には当家の書院や店蔵などいくつかの歴史的な建造物が往時の姿のまま存在しております。建物や庭、昔の資料群、また酒類をはじめとする家業としていた商い関連の事柄などの魅力に、より多くの方々が接し、楽しんでいただけることを目指して、多くの皆様のご支援をいただきながら、しばらく時間がかかりますが、現在、整理と準備を進めております。
地下鉄グリーンラインの川和町駅周辺は区画整理により新しい街が出来つつあり、川和の将来をより良いものにしてくれると期待しております。そして松林甫の整備・活用も地域活性化・発展の一助となれば幸いと考えます。
トップページの絵は、青葉区在住の仲津和夫先生による水彩画です。松林甫の入り口の登り坂の途中から、「店蔵」を望む風景です。仲津先生のご許可を得て、掲載させていただきました。
令和4年8月
有限会社 中山松林甫
代表取締役 中山 健